昨年秋、男鹿市観光協会さんの主催する「神社・仏閣めぐりツアー」に参加してみて発覚したんですが、男鹿にも いくつか伝説の残る「八郎太郎」って とっても人気が高いんです!!ともすればナマハゲをも凌ぐんでないの?それはチョット言い過ぎかしら?ナマハゲほどの知名度は ありませんが、強く興味を持っている方が多いのは事実なんです。

男鹿には、八郎太郎の伝説や、ゆかりの地が いくつかあるので ご紹介しましょう。

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一の目潟
なぜ一の目潟と呼ばれるようになったか、という昔話です。佐竹の殿様の時代には農作業に使用する大事な水という意味で「御潟(みかた)」と呼ばれていたものが、まんまるい目のような形をしているので、やがて「目潟(めがた)」と呼ばれるようになったという説もありますが、八郎太郎に関する伝説も あるのです。

むかしむかし、八郎潟に住んでいた八郎太郎は「冬も氷の張らない潟に住みたいなぁ」と考え一の目潟に目を付けます。一の目潟に元々 住んでいた神様は気が気じゃありません。神様は美しい お姫様に変身して、京都から来た武内弥五郎真康という人に八郎太郎を追い返してくれるように お願いしました。こころよく引き受けた武内真康は、潟の ほとりに潜み、夜半に寒風山の上空から飛来した八郎太郎に向けて、先祖伝来の弓矢を射かけました。

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一の目潟の右奥に見える山が寒風山。八郎太郎は あの山の向こうから飛来してきたという

矢を受けた八郎太郎は雷のような大きな音をたて「真康の子孫7代まで、必ず片目にしてくれる!」と恨みの言葉を吐きながら矢を真康の片目 目掛けて投げ返し、潟に転落します。八郎太郎の撃退に成功した真康は片目を失ってしまいましたが、潟の神様に雨乞いの「天日に さらして祈ると必ず雨が降る」という雨乞の護符・龍の面と雨乞証文を授かりました。

それからというもの、その潟は一つ目の真康に ちなんで「一の目潟」と呼ばれるようになったのだそうです。

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ピンクに塗ったところが大潟村。もと八郎湖であったところです
小深見の八龍神社・寒風山・一の目潟が一直線に並んでいるのは偶然?

さぁ、あなたも八郎太郎の伝説を辿るたびに出かけませんか?

八郎太郎 伝説①「第4回ジオサイト見学会」
八郎湖の伝説
http://blogs.yahoo.co.jp/ogasikankoujyouhou/6735042.html

八郎太郎 伝説①「八郎太郎ゆかりの地を めぐろう!①」
船越の八龍神社
http://blogs.yahoo.co.jp/ogasikankoujyouhou/8684959.html

番外「さんぽin払戸【トリロジー】」
小深見新明社の八龍神社を紹介
http://blogs.yahoo.co.jp/ogasikankoujyouhou/4033288.html