最近は風が冷たくなってすっかり秋になりましたね。今日なんて寒すぎて早くも冬になるんじゃないか!?ってくらいです。周りには風邪気味な方が増えてきたようですが、みなさんは体調には十分に気を付けてくださいね!

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風が冷たくなってきたころ、西海岸で夏を過ごした菅江真澄は椿地区から本山のふもと・北浦安全寺や男鹿中滝川に向ったようです。

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安全寺
文化七年(一八一〇)十月初旬安全寺村へ行き、真壁氏に泊まる。
涌出山の鬼を平定しようと、坂上田村麻呂が来られて馬をつないだという松があった。この木を祖神とあがめ、馬の神といって鳥居がたてられている。

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島田
文化七年(一八一〇)十月二十五日 島田で穂酒というのを見る。
煮粢とあるいは濁酒をつくって提(木製の片口)につぎ入れ、それに稲穂一房をひたし、これを穂酒といって神前に供える。

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滝川
文化七年(一八一〇)十月二十七日
滝川で未の刻(午後二時)過ぎ大地震にあう。立っているとふり倒され、軒端の山も崩れ落ちるありさまで、生命の危険を感じて、樹にすがり、竹の林にのがれた。

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地震供養塔
文化七年(一八一〇)十月男鹿を襲った大地震の死者の霊を弔う。
寒風山の麓に卒塔婆を建て、地震で死んだ人たちの霊をまつる供養が行われている。

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地震や飢饉でなくなった方々を弔うための供養塔が5つ並んでいます。

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すぐ手前には竜胆の花が群生していました。

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中石
文化七年(一八一〇)十月二十八日 中石村洞昌寺を訪ねる。
清宗山洞昌寺の俊山法師を訪ねると、寺も地震で壊されて、庭にささやかな仮庵を作って住んでいた。話し語りをしているうち夜は更けて、又時雨の音がする。

五里合 中石にある 洞昌寺さんの敷地内に標柱が建っています。男鹿梨は江戸時代に栽培が始まったんだとか?1810年の秋に中石を訪れた菅江真澄は男鹿梨を食べたんでしょうか???
安全寺の馬をつないだという松や鳥居などは残念ながら見つけられなかったんですが、地震塚や洞昌寺さんなど、往事を偲ばせる建造物も多く残っています。菅江真澄の道を追う時にはこういったものを探しながら同じ季節に歩くほうが楽しいですね!