1810年春、男鹿市野石申川からココ北浦を旅した「男鹿の春風」
男鹿市内にある「菅江真澄の道・男鹿の春風」の標柱・説明版は全部で20か所ありました。ずいぶん頑張っちゃったせいか、「男鹿の鈴風」の5月分は中里の浜・黒崎の白蕨(くろさき の しろわらび)・蝦夷百合(えじょろ)の3か所のみです。
前回ご紹介した菅江真澄の道・湯ノ尻の近く、男鹿市北浦湯本字中里の国民宿舎・男鹿の入り口付近にあります。
文化七年(一八一〇)五月 湯ノ尻中里の浜にでる。
昔、中里といって五、六軒の家があったが、ある年、鮫漁に出て、シケで船が転覆し、村人が死亡したため村も滅んで畑となった。今も陶器などが土中から出るが、中里の地名ばかりが残っている。
黒崎の白蕨 北浦西黒沢
文化七年(一八一〇)五月中旬 「黒崎の白蕨」由来を聞く。
今も、汁菜にする位いの灰に つけないでも よい蕨が萌え出るという。
蝦夷百合(えじょろ) 男鹿市役所 戸賀出張所 前
文化七年(一八一〇)五月 蝦夷百合をみる。
ここでは、えじょろ という。これを、ご飯に混ぜたり煮て食べた。男えじょろは、根に毒があって食べられないが、女えじょろは食べられる。男鹿地方では、近年までこれを食べていた。
えじょろ(蝦夷百合)
このあたりでは えぞゆり が なまって えじょろ とか いじょろ と呼ばれているそうです。
中里の浜
この根っこ の部分を お米に混ぜたり、おひたし にして食べるんですって!今でも!!現在進行形で!!!
食感はユリ根とかヤマイモっぽいんだとか!?シャキシャキしたカンジですかね?
毎度 思うんですが、菅江真澄って地元のローカルな情報を仕入れるのが とっても上手ですよねぇ~。ウマイ話を ウマーく聞き出す菅江真澄は、200年後の今でも男鹿の魅力再発見に大いに貢献してくれているようですね!