地蔵坂
文化七年(一八一〇)四月二十二日 野村から湯本へ向かう。
湯本へ行こうと野村を出て山路を行く。左手の苗代が萌えている山際に、字がなかば消えている碑がある。地蔵大士を刻んだ下に、永和のはじめ(一三七五、北朝)の年号がしるしてあった。
野村打道坂「板碑」
菅江真澄の男鹿遊覧記に「梵字も消えて、地蔵大士を刻んであるその下に、後円融院の永和の始めの年号を書いてある碑がある」という一節を残している。しかし、長い間その所在は不明であったが昭和35年秋、八幡社の廃屋の中から発見できた。碑中に種字を刻んでおり、上にKrin(弥陀)、右にSe.i.ci(勢至)、左にKam.se.om(観世音)と銘記する。(斎藤彦松博士推解)このような表現は、全国的にも極めて類例が少なく貴重な石造遺物である。男鹿市教育委員会
野村から地蔵坂へ向かう地中で見つけた お地蔵様。菅江真澄も見たでしょうか?
妙見堂(現 星辻神社)
四月二十三日 妙見堂に詣でる。
この堂は大同年間、坂上田村麻呂が祀った古いものであったが、文祿年間に落雷して、慶安五年(一六五二)に再建したが、享和二年(一八〇二)に再び雷火に焼かれて、数々の宝物も失せてしまった。
ひとつめの鳥居の右奥にチラッと見える白いモノが「菅江真澄の道」の標柱です。
うもれてます。
18日はこのあたりのお祭りだったそうですね!21日は男鹿中地区の お祭り、5月20日は船川の お祭り。男鹿では次々と お祭りリレーが始まってます!地元の お祭りには男鹿に帰る、という方も多いのではないでしょうかアノ カラフルな寒天も郷土料理の一つですよね~♪
湯ノ尻
五月上旬 湯ノ尻で一夜をあかす。
日が暮れても なお鹿追いを続けねば ならず、貝を吹いて まわっている時、戌の刻(午後八時)に近いころ、また湯ノ尻山で二声、三声、牡鹿が鳴いた。
鹿追いといえば、入道崎には鹿落しという場所が ありましたね。昔このあたりでは鹿を捕まえて食べたのでしょうか?村人が協力して捕獲すれば、みんなで分け合えるぐらいの量はあったでしょうねぇ~。
目撃情報は そう多くありませんが、寒風山の あたりには まだ野生の鹿が生息している・・・というウワサもありますよ!一度 鹿にも会ってみたいですね!