五輪野
文化七年(一八一〇)四月十五日 五輪野の墓誌石を見る。
浦の端に五輪野がある。路傍の丘に桜などが茂っていて、墓誌石が多くあるが、梵字だけがあり他の文字は消えてしまっている。

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五輪塔群(市指定文化財)福島亀蔵 氏 所有
銘分はないが 鎌倉時代末期の所産と推考される。県内に例をみない巨大五輪塔で高さ172.5cmである。
五輪塔は 密教の五大思想にもとづいて空、風、火、水、地の五大を あらわしたものという。
男鹿市教育委員会

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日枝神社(現 北浦神社)
文化七年(一八一〇)四月十五日 日枝神社に参拝する。
この社は飛騨の匠が建てたといわれ、古い萱葺きの屋根裏に康永年間(一三四二~四五、北朝)の棟札がある。社宝に大蛇を射たと伝えられる鏃が一つ、城介実季(秋田氏)が奉納したという三十六歌仙の板絵がある。

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現在の北浦神社7月には「鹿島祭り」があるそうです!

染川城跡
文化七年(一八一〇)四月十六日 北浦をたち、染川城跡を見る。
館というところは、安倍の兼季が康永(一三四二~四五、北朝)のころ、こもった柵の跡であるといわれ、海に臨んで高い。

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道の先に祠があり、「交通安全・家内安全」と書かれています。ドッチも大事!よ~く拝んでおきましょう!!この先を真っ直ぐ進むと「染川城跡」が あります。

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染川城跡

浜間口の板碑

文化七年(一八一〇)四月十六日 浜間口で板碑を見る。
北鶴田の浦の橋のたもとに碑がある。五輪の形を刻み、空・風・火・水・地の梵字を彫ってある。

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十文字野の板碑
文化七年(一八一〇)四月十六日 山田で板碑を見る。
十文字野という所に碑が二つ建っている。その高さ七尺あまり、左手の碑は文字が消えて見えない。六尺ほどの碑面に康永の年号かあって、兼季の時代がしのばれた。

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板碑(南北朝時代西暦1345年)(市指定有形文化財)
本碑については、江戸時代、菅江真澄が紀行「恩荷能春風」の中でふれている。地上1.92m種字アン(普賢)、ウン(阿閦)下方に「康永亖年二月吉日 右志者爲過去二親乃法界利益也、吉眞、孝子、敬白」と刻する。紀年の亖年は金石 銘記に しばしば みられる四年の異字、吉眞は人名で亡き両親の菩提を とむらうために造立したものであろう。
男鹿市教育委員会

石碑、多いですよねぇ・・・。康永というのは1342年から1344年までの元号です。667年も前の石材加工技術って どんなの だったんでしょうか?男鹿は石の産地でもありますから、石工職人さんの技術も昔から発達していたのかもしれませんね。それでも機械のない時代は石に文字を彫るなんて大変だったハズです。郷土の偉人への尊敬だったり、強い信仰があったからこそ、これだけ多くの石碑が今に残ったのではないでしょうか・・・。