男鹿を歩いていると、そこかしこで「菅江真澄の道」という標柱・あるいは説明版を目することができます。男鹿を歩けば真澄にぶつかる・・・。それならば
いっそのこと「菅江真澄の道データベース&アルバム」を作ろう!という やっかいな夢を抱いてしまった わたし。今までに発見した「菅江真澄の道」を時系列順に並べてみました~。

今日は1804年8月15~24日までの「男鹿の秋風」紀行に沿って ご紹介。

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男鹿市船越・船越水道の八竜橋のたもと「蜘蛛舞」標柱と「雄潟の渡し」説明版が並んでいます。

8月15日、東湖八坂神社にまつわる神事の中の蜘蛛舞のことを記す。
8月21日、雄潟の渡しで天王から船越に至る。

「雄潟の渡し」の説明板では「昔、ここを千福川(雄物川)が流れていて・・・」という衝撃の過去話から始まり、津波による地形の変動、船越の地名の由来などを知ることができます。

昔の人が見たこと聞いたことを今に伝える紀行文って、史実を知るうえで とっても重要だなぁ~と改めて実感します。よくデータよりも紙が残る、紙よりも石版が残るなんて聞きますケド、わたしたちの時代に起きたことも こんな風に後世に ちゃんと伝わっていくんでしょうかねェ~?

8月21日「八龍の社」船越八郎谷地にある八龍神社

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「八郎という者が難蔵法師との争いに負け、大蛇となってこの湖水に入ったという伝説を記す」ほぉ~、この伝説があるから地名や橋にも「八郎」の名が残っているんですね

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8月24日「神明社・羽黒の祠」神明社・羽黒の祠を見る
船越近隣公園・北側の入口にあります。

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坂を上ると鳥居が見えてきましたー。奥には赤い?エビ色?の神明社が見えます。バンガロー風の ちょっとオシャレな社殿ですねェ。

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菅江真澄さんたちの歌碑もありました。

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「羽黒の祠」って何でしょうか?
コレかな・・・???↓

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「脇本城跡・菅原神社・細葉の椿」
船越から脇本へ向かうと、トンネルの手前 山側に大きな鳥居が見えます。

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この階段、あるいは右側の歩道を上ると菅原神社。さらに進めば脇本城跡にたどり着けます。

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1804年8月24日、生鼻岬に登り天満宮を拝す。
別名太平城ともよばれ、その規模は大きく今も館跡が数多く残っている。菅原神社は その一角にあり境内に細葉の椿という古木がある。

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生鼻岬に登り・・・

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天満宮を拝す。
菅原神社の階段下には手水石(参拝前に手や口を清めるところ)が あるんですが、「学水」と いって この湧水で墨を摺ると お習字が上達するんですって!さすが学問の神様!!お手水ですら お勉強がらみです。

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天満宮の左には「細葉の椿」があり、その先には脇本城跡へと続く道が伸びていました。

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細葉の椿
「天神様の細葉の椿」菅江真澄の男鹿遊覧記に「天満宮の神垣にはいって額づく。実季も友季も、この神を朝夕に祈り敬い、その社前に占いなどしたことだろう。細葉の椿という古木がある。"生い茂る、細葉の椿ふとまにの、うらなみかけて、八千代経ぬらし"」という一節を残している。ヤブツバキの一種で、葉が細く、四月中旬頃からピンク色の花弁を付ける長い年月の風雪に耐え、脇本城の栄枯盛衰を見守ってきたことであろう。樹齢400年以上と推定される。(男鹿市教育委員会 説明版より)

学問の神様を拝し、ちょっとは文章が上達しますよーに!男鹿のイイトコロを たっくさん学べますように!と重々お願いしてから次いってみよー。

「比詰」男鹿市船川港比詰

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101号線ではなく、寒風山へ徒歩で のぼる道の登り口付近にあります。

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比詰と駒(馬)の ひづめ を掛けて歌を詠んだようですね。

のりて行く 駒のひづめも 心せよ ちしほはつしほ 峰のもみじ葉
・・・菅江真澄さんは馬で脇本から寒風山に登って比詰方面に降りたんでしょうかね?

「仁井山」

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船川港仁井山の仁井山バス停で木に埋もれちゃってる標柱を発見。側面の文字が見えません!

仁井山に宿をとり、歌を詠む
山賎の 露分け衣今日ほして 今宵はやどに きぬた打つらし汝れもかく・・・津づれを・・・させてふ声そへて 麻■(草冠に守)の糸の長き夜を鳴く
残念ですが読めません!木を傷つけそうでコワいのでココまでです・・・。
菅江真澄さんも仁井山で宿をとって休んだようですし、今日は このぐらいに しておきましょう。

実は「蜘蛛舞」の同日・15日に、以前「あまどら」取材の際にみつけた「初竹の神事」も記しているようなんです。それでいて21日には再び船越に戻り「雄潟の渡し」「八龍の社」を記している・・・ひょっとして菅江さん、わたし と同じ迷子気質?わたしも よく同じところを行ったり来たりしています。男鹿市内でウロウロしてるカワイソウな迷子を見かけたら、わたしか菅江真澄だと思って優しく声をかけてやってくださいまし・・・。