男鹿に来て、船越 → 脇本 → 寒風山 と 旅をした菅江真澄さん。翌日は羽立から船川南磯方面へ足を向けます。歩きますねぇ~。ナニカ歩き疲れない工夫とか してたんでしょうか?どんな履物 履いてたんでしょ?
今回は1804年8月25日、夏真っ只中!菅江真澄・男鹿南磯の旅を追いかけます。取りこぼしも ありますし、今は まだ3月なのでチョット景色の違いはあるでしょうが、ソコは まぁ・・・気にしない方向で!
「羽立」
男鹿市船川港比詰。海側の消防小屋 横
海の すぐそば です。
寒風山の麓をたどり、羽立へ出て、左に生鼻崎、右に金川の浦を眺めた。岸辺の杉むらの中に、東泉寺(洞泉寺)の屋根が見え風情があった。
「鰰」
男鹿市民文化会館 駐車場に入ってスグのところにあります。
金川の小橋を渡り、船川の浦に入り、鰰のことを記す。
雷のことを はたたがみ という、雷が鳴る頃やってくる魚の卵を絞り出したものを雷子(ぶりこ)といい、それに牡(オス)の白子をかけて海水に浸すと玉のように固まる・・・というような当時の鰰漁について ふれています。
「鰰漁」男鹿市立図書館 前
船川に至り、鰰のことを記す
「増川」男鹿市船川港増川 増川橋。この奥に増川八幡神社があります
鳴く千鳥しおせの波もたちそえて ながめいやます 川のべの宿
「八幡神社」増川八幡神社
享徳四年(一四五五)四月のころ 安藤太郎平泰春が建てたと記す
菅江真澄がココを訪れる349年前に建てられた神社がこちら。(さすがに当時のままではないでしょうが・・・)
ホントに不思議なんですが、直前まで雪が降っていても、神社に来てカメラをONにするとナゼか晴れるんですよね~。神様も写真うつりを気にするんでしょーか?
「女川」船川港女川
大きな通りではなく、中の住宅が立ち並ぶ通りにある神社の脇にあります。
尾名川(女川)の村に来て、円仁が作ったという十王像を見る
「台島」
また消防小屋の前・・・。どうも、「菅江真澄の道」標柱は、公民館・神社、消防小屋の敷地内が多いですね。迷子になったら これら を探そう・・・。
王余魚の形をした岩がある。ここにも浦島物語が伝えられている。
王余魚はカレイと読むようです。男鹿にはカメもタイもいますからねぇ。浦島太郎は、漁民にとって親しみやすい お話だったかもしれません。
「椿」
ここはツバキ自生北限地帯・船川港椿地区です。
菅江真澄も「男鹿の秋風」に椿中山の神、椿の群生地、白岩のことなどを記しているほどの名所なんですね。訪れる時期が早すぎたようです・・・。
標柱は椿漁港関連道完成記念の大きな石碑の横に連立しています。
この説明版の奥にある常緑の木が椿でしょうか?厚い濃緑の葉は見えますが、蕾は まだのようですね・・・、残念。4月になったら また訪れてみたいものです。
「双六」船川港双六(すごろく)
双六の浦に着き歌を詠む
綿つみの 神のかざしかしらにきて 波の花枝は 折るとしもなし
1979年に双六の弁天島でウミネコの営巣・繁殖が確認され、1990年頃からは、はなれ島においても営巣・繁殖が確認されているそーです(男鹿市ホームページより)なんとか標柱と弁天島を同じフレームに納めようとしたのですが・・・ちいさくて見えませんね。ごめんなさい。
「小浜」船川港小浜
白い鳥居の神明社の隣には・・・
赤い鳥居の山王神社が仲良く並んで建っています。紅白で めでたい のぅ・・・。
小浜の浦に宿をとり 歌を詠む
風あらき 浦の小浜の波枕 うちも寝られず あけむこの夜は
アレ・・・、眠れなかったんでしょーか?
海側ですから風も荒く、波の音で寝付けないかもしれませんね・・・あるいは、夏の夜の海は 星もキレイですし眠るのがもったいなかったのかもしれません
夏の海に舟で漕ぎだし、男鹿の海を満喫した菅江さんちょっと気が早いですが、夏になったら みなさんも男鹿の磯遊び、ウニやカキなど美味しいモノを堪能しにいらしてくださいね!