日本海にピョコンとつきだした男鹿市と、おとなり大潟村とで組織された男鹿半島・大潟ジオパーク。
現在開催されている第29回 国民文化祭あきた2014事業のヒトツ、大地に学ぼうジオパークの祭典「湖底に誕生した大地・大潟村をめぐるジオツアー」に参加するため、ホテルサンルーラル大潟にやってきました~☆
きょうのツアーはさっそくランチからはじまります。贅沢!
タマネギ・ピーマン・新ネギなど、大潟村でつくられた野菜たっぷりの【ルーラルランチ】モチロンお米は「あきたこまち」
どれもおいしそうですけど、とくに「カボチャの茶わん蒸し」が気になりますぅ♡
お腹いっぱいになったら、バスで寒風山に移動します。ガイドは大潟村案内ボランティアの石原さん。
たいっしたじょんずなガイドさんです。
ハイ「お土産資料チェック」しま~す。
男鹿半島 海のめぐみ「男鹿の塩」「赤神神社 五社堂999の石段 手ぬぐい」「大潟村でみつけた四つ葉のクローバー」
この袋に入っていたのは五つ葉でした。大当たりです。
寒風山回転展望台から、大潟村を見渡します。
この日は晴れたり曇ったり雷が鳴ったり・・・☁でもときおりモヤが晴れて八郎潟残存湖や大潟村のなかを通る水路が見えました。
「ここからまっすぐ見えるのが水路ですよ!」
寒風山回転展望台の2階は「男鹿半島・大潟ジオパーク展示室」になっています。
「大潟村エリア ジオスポット」の展示を見て、きょうこれから行くところを予習しておきましたー。
みなさんが熱心にお勉強している間、わたしはひとり1階の売店で、男鹿の塩と海藻エキスが融合した「藻塩(もしお)」を使った【男鹿塩ソフト】をあじわっておりました。
藻塩の独特なコクがあります。
「きょうはガイドとしてでなく、歌うためだけに呼ばれた」という津島さんが、「風よ とどけよ ふるさとへ」という歌を披露してくださいました。
この歌は全国各地から大潟村にやってきた一次入植者のみなさんが、ふるさとを想ってつくった歌なのだそうです。
「30代で大潟村に入植して、もう人生の半分以上は大潟村で暮らし、今ではもうすっかり大潟村がわたしのふるさとです」と語る80代のガイドさんがいたり、ことし50周年をむかえた大潟村の歴史を生の声で語ってくれるガイドさんがいるのは、大潟村の強みですね!まさに「人と大地の物語」がここにはあるのです。
バスツアー川柳も披露しちゃったりなんかして
日本一低い山!?大潟富士でーす
高さは富士山の1/1000=3.776mなんですが、この三角点のある地点は-3.8mなので、大潟富士の標高は海抜0mなんです!
じゃあココ海面と同じ高さ!?
わたし今、海面とおなじ高さに立ってるの!!??すっご~い!!
みんな楽しそうですね・・・なかなかおりてきません。
八郎潟干拓記念水位塔は、かつての湖面の高さを示しているんですって!
下の方には「人々はいつもこの頭上の高さに日本海の水面が広がっていることを忘れてはならない」と書かれています。
かつては日本第二の広さをほこった八郎潟も、いまではこ~んな広大な圃場になりました。田んぼの一枚、一枚が広い!大きい!!
緯度と経度が10度単位で交わるのは日本でココだけ!北緯40度と東経140度が交差する【経緯度交会点】
アレ?ここにも、先ほどの八郎潟干拓記念水位塔にも赤いサルビアの花がたくさん植えられていますね。
サルビアは大潟村の花なんですって✿オシャー
手前にあるのは、八郎潟の干拓前と干拓後の水位の差を段差で示した【水位標】
奥の1964年に干陸式が行われた場所には【八郎潟干拓碑】があるそうです。
大潟村干拓博物館につきましたー。
3枚の大きな写真を見ながら、干拓前の八郎潟→干拓工事中→現在と、潟から大地へ移り変わるさまを開設していただきました。
干拓した当時は、土がとってもやわらかく、トラクターが埋まったりして大変苦労したのだそうです・・・。そのことを、2世3世と代替わりしてもわすれないように、こうして残してあるんですって!
いっしょに苦楽を重ねたご近所さん同士、どんな暮らしをしていたのでしょう?ガイドさんが当時のエピソードを語ってくださいます。
今は野鳥も多く訪れるようになった、ひとがつくりあげた豊かな大地・大潟村・・・その物語を辿る旅に出かけてみてはいかがでしょうか~?
11月3日まで、大潟村で見かけることが出来る?かもしれない野鳥の剥製を展示した企画展【大地と自然のモノガタリ】も開催中でーす☆
大潟村のあるあたりは昔、海だったんだって!すっご~い!!