今日は6月23日に男鹿市船川港女川地区で行なわれた端午の節句 邪気払いの行事・女川の菖蒲たたきを ご紹介いたします。
以前は北浦・脇本・若美などでも行われていたようなんですが、いまでは女川地区でのみ行われる希少な行事となってしまいました。平成23年には男鹿市の無形民俗文化財に指定されています。
端午の節句前日の夕方、女川地区の各家々をまわり、
「若い菖蒲やって良いですか?」と住人に尋ねます。
OKが出ると玄関前に しゃがみこみ、「5月4日の若い菖蒲、だれっちゃ あだても とんがなし。ひとつ、ふたつ・・・とお。おまけに ひとつ!」と叫びながら、
菖蒲を紐で束ねた棒=菖蒲刀で地面を11回たたき邪気払いをするのです。(だれっちゃ=誰に、あだても=あたっても・ぶつかっても、とんがなし=咎無し・責めないでね)
菖蒲刀で邪気払いをしてもらった家の人は「はい、どうも。ありがとうさん」などと労いながら ご祝儀を渡してくれます。この ご祝儀は行事終了後 子供たちで分配します。
女川の菖蒲たたき行事は、小・中学生の男子だけで行われ(今回の最年少は2歳の男の子でした)、集合場所・開始時間・順路・ご祝儀の分配など行事にかかわるすべてを子供たちが話し合って決められ、大人は口出ししないのだそうです。
女川の方の お話では、戦前から行われていた、とのことですので80年以上つづく伝統ある行事なんですね。ご祝儀が お金になったのは最近のことで、70~80年前は お餅だったり、なにもなかったりしたそうです。
菖蒲刀は行事後どうするのかというと、むかしは魔除けとして屋根の上にあげ、正月になると、干しておいた菖蒲とヨモギを頭に結わき、病気や災いを払うのに使っていたんですって。なんだかナマハゲのケデのような扱いですね。この菖蒲刀は毎年新しく作り直されます。
夕方から集まり各家々を回り邪気払いをする。回るのは若い男性のみ。払ってもらった家の人は ご祝儀を手渡す。など、おおみそかのナマハゲとの共通点が いくつかあるのに気づきました。モチロン女川でも 大みそかにはナマハゲ行事が行われます。
今年は例年より少し早く、夕方4時ころから開始されました。子供たちは2組に分かれ、東側からは5人、西側からは8人の少年たちが、ちょうど中心部にある川のあたりを目指して邪気払いをして歩きます。西側チームは女川地区の坂の上にある養護老人ホーム・樹園でも「若い菖蒲」をして、なんとアンコールまで受けていましたよ。
すべての家を回り終えたのが夜7時。今の時期は日が長いので まだ明るかったですが、例年だと9時ころまで かかることも あるそうです。
気になる菖蒲たたき行事のキッカケですが、
むかし、欲深い男がいて、まま(=ご飯)を食わない嫁がほしいと考えた。そこで神さまは「よし」と嫁を娶らせた。欲深い男は、米櫃に印をつけ仕事に行く。しかし帰ってから確かめてみると米が減っているわけだ。隣人に「おまえの前では なんぼ辛抱していても、一人になれば食べているはずだ。天井の梁の上に隠れて見ていろ」と知恵をつけられ、梁の上に隠れて見ていた。
嫁は鬼の姿で米を むさぼっており、恐ろしくなった男は梁から落ちてしまったところを嫁に見つかり「桶に入れ」と命じられ、山へ運ばれ食われそうになった。山には菖蒲と ヨモギが生えていた。菖蒲は鬼の体を溶かし、ヨモギは悪臭を放ち、鬼を追い払ったため男は食べられずに済んだ。この嫁が実は神さまの化身で、男を改心させるために こらしめたのだった。それがちょうど5月4日のことであった。それが菖蒲たたきの いわれ なのだそうです。
菖蒲たたき行事の由来には、魔除け・邪気払い・健康を願うということのほかに、欲を かかずに真面目に 働きなさいという教訓も含まれているんですね。
女川の菖蒲たたき・若い菖蒲は地域の行事ですので、観光客さんに見ていただくことはできないんですが、これからも ずっと残していきたい たいせつな行事です。
この菖蒲たたきだけに とどまらず、男鹿には大事にしたい行事・伝統・風習・文化がたくさんあります。いろんなことで簡略化が進み、知らないことも たくさんありますが、前の世代から次の世代へ、きちんと正しく すべて伝えていくことが大事なんだな、と再認識しました。