滝ノ頭湧水、渡部村、男鹿梨の産地・中石、八郎湖干拓の歴史などなど、寒風山周辺の歴史について学べる!というので、歴史探訪講座の第2回移動研修・ジオサイト探訪に参加してきました~!
まずは、バスで大潟村の南側にある八郎湖南部排水機場に向かいます。
日本で2番目に大きな湖だった八郎湖を干拓して うまれた大潟村は、海面よりも約4m低いところにあるので、海水の侵入を防ぐための防潮水門や、雨などによる浸水被害軽減のために水位を調整する排水機場が設置され、干拓地に住む人々や農地を守るための維持・管理をしているのです。
・・・というようなコトや、昭和32~52年の八郎潟干拓事業の様子などを、まずは映像で学びました。
その後、一行は5階に移動し、高いところから調整池などを眺めながら「もし、排水機場が なかったら どうなるのか」「西部承水路と、川の多い東部承水路の違い」について説明を受け、
参加者さんからは「子供のころから八郎湖の なりゆき を見てきた!今も湖岸に植物を植える活動をしている」「昔はシジミが山ほど採れたね」という質疑応答・・・と いうか八郎潟への愛も発表されました
バスは渡部斧松 翁が滝ノ頭湧水を引いて開墾した渡部村を経由して、寒風山へと向かいます。
連日 寒風山に来ている気がします・・・。
駐車場の この お水は滝ノ頭から くみ上げているんですって!
過去に男鹿を襲った地震や飢饉で亡くなった人を供養するために建立された五基の石碑。
山頂から五里合 方面を眺めます。中石地区の台地と土質は梨の栽培に とっても適しているんですって!だから男鹿梨は あんなに美味しんですねぇ~!はやく食べたい!!
むかしむかし、寒風山の山頂には塔が建っていて薬師山・塔の峰などと呼ばれていたそうです。そののち、京の都からきた高貴な人が「あしびきの 山の秋風 寒き夜に なほ妻恋の 鹿ぞ鳴くなる」と歌を詠み、そこから寒と風をとって寒風山と呼ばれるようになったという説もあるそうです。
寒風山に まつわる歴史とジオサイト探訪の旅。八郎湖干拓地、滝ノ頭、地震塚・・・先人たちが生きるために闘って成し遂げた功績と苦心の跡を、是非とも多くの方に訪れていただきたいと思います。