また脇本に やって来てしまいました~!
南東から見た寒風山は こんな感じです。まだちょっと雪が残ってますね。天気が良すぎて空の奥行きと山の立体感?イヤ実際立体なんですが、こんもり感の対比がなんだか不思議。よ~く見ると左下に後述の岩倉館跡と菅江真澄の道・八英の梅、中央下部右寄りに根上がり松が見えます。
石碑が たくさん立っているトコロを発見!イチバン右は庚申塚ですね。
左の大きな碑には・・・竹林・・・延命寺・・・?高い位置にあるうえに達筆でトコロドコロしか読めないんですが、佐藤八右衛門翁之碑と書いてあります。郷土の偉人でしょうか?
右の黒くて四角い碑は岩倉地域に電灯が灯ってから三十三周年の記念に建立されたようです。
昭和二十年終戦直後人心も混乱し世相も暗黒の折 無電灯なりし我が地域に佐藤鉄五郎氏が発起人となり住民の總力を結集し同年十二月点燈に至れり以来卅三年を迎るに当り茲に記念の碑を建立してその昔を偲ぶものなり
むつましく清く明るき心こそ栄える里の光なりけり
昭和五十三年 春
岩倉部落一同建之
すぐそばには根上り松もあります。どうも このあいだから立派な松 発見率が高いですねぇ。
近くの公園で不思議な石像を見つけたので寄り道します。ナニナニ?岩倉館跡ですって!
安東愛季・実季に仕えた北畠右近慶好(みちよし)という武将が住んでいた館の跡だそうです。
ここにも庚申塚が ありました。
トンネルの方に向かう途中には脇本城馬乗り場の跡も見ることができます。
ここから向かい側に見える丘陵が馬乗り場と呼ばれる所で、古くは古舘と称していた。ここの最高標高は117mで、12,000㎡を越す平坦地となっており、周囲を切岸(きりぎし)と呼ぶ城壁群が囲んでいる。内部は土塁や通路で区画されており、四隅には櫓(やぐら)があったと推察されている。またここから見える西側の急斜面には竪(たて)堀。竪土塁状遺構が累々と認められる。このように馬乗り場(古舘)は、規模の大きさや竪子に整備されていることから、安東愛季(ちかすえ)が天正5年(1577)に大がかりに再整備しなおした脇本城の本郭(ほんかく)と考えられている。(平成9年(1997)3月14日 秋田県文化財指定)男鹿市教育委員会
向かい側に見える丘陵
西側の急斜面
北畠右近の城(岩倉館跡)は脇本城の支城だけあって、やはり近い位置にありますね。
戦国時代・幕末・終戦後・・・、異なる時代の なごりを後世に伝える3つの遺産?が残る脇本の旅を お送りしました~!