平沢(奥に見えるのは平沢入口のバス停)
文化七年(一八一〇)六月 平沢の鷗岩・鈴島を見る。
鷗岩の姿は一段と趣があった。鈴島というのは打ち寄せる波に鈴をふる音でも聞こえるのであろうか。夏は涼しい風景で、納涼島の名にふさわしいところであろう。
鈴島を探して海辺に出たところで運よく漁師さんに声を掛けられたので、鈴島ってドコですかぁ?と聞いてみたところ「しじゅうしま」のコトじゃないか?と教えていただきました。「すずしま」と「しじゅうしま」・・・・・・似てます。
しじゅうしま
鹿島岬?
西黒沢漁港
さて、ココからは わたしの勝手な思い込みですが、菅江真澄は白糸の滝を「四十八滝」と記していました。昔の人は数が多いことを表すため四十八とか八十八とか九十九なんて数字を地名に付けたりしますよね。「しじゅうしま」は「四十島」で実際に島が四十あるわけではないが小さな島が たくさんあることを表すため四十島と呼んだ。それを菅江真澄が「地元の人は訛ってるから きっと「鈴島」といったのだろう」と思い「鈴島」と記した・・・・・・なんてコトは 考えられないでしょうか?
そんな妄想は さておき、漁師さんに「ずーっと西に行くと古い地層があるよ!看板も立ってる」と情報を いただいたので「しじゅうしま」の向こうに歩いて行ってみましょう!ジオを学んだ直後の このタイミングの良さ・・・。
看板のあるところまではコンクリートで舗装されていますので安全ですが、かつての海底面や貝殻やウニ、松ぼっくりの化石を見るためには潮が引いているトコロを選んで、石がゴロゴロしている波打ち際を歩いて行かなければなりません。
潮が引いた箇所を選んでジャンプ!
スニーカーなど歩きやすい靴を履いて気を付けて見学に行きましょう!
1500万年前、今手前に見えている地面は、かつて海底面だったんですって!
200年前、菅江真澄も この地層を見たかもしれません・・・。
松ぼっくり は向こうか・・・
貝殻の化石は残念ながら発見できませんでしたが、
ハートなら見つけました~
畠(北浦 入道崎)
文化七年(一八一〇)六月、黒崎から陸路を行き、島村に至る。
今日は、村のささやかな宿に泊まった。ほどんど岩の上に建てた住家なので、地震などは無いということだ。
蚊の細声も聞こえるが、吸うこともない。夏は住みよいが、蚤が甚だ多く、寝られもせず、一夜を明かした。
5月に通った「白蕨がとれる」という黒崎から、さきほどの「平沢」を経由して西黒沢漁港の「鈴島」を眺め、畠に至ったのでしょう。
せっかくなので帰りに、男鹿温泉郷に あるというジオスポット「鬼の隠れ道」を探して行きましょう。
温泉郷を歩くとき頼りになるのが「歓迎」看板の下に見える男鹿温泉おさんぽマップよね~と近づいてみると・・・?
なんと親切にも その左に「鬼の隠れ道↑50m」の看板が!隠す気ゼロです。みんなに知ってもらいたいジオスポットですものね!
木陰になってて「隠れ道」らしい雰囲気のある涼しそ~な細い道を進むと~?
まわりの雰囲気を壊さないスバラシイ説明版がありましたー。
この男鹿温泉郷 一帯は「草木原」と呼ばれ、明治から大正時代にかけて、石灰岩の採石現場でした。
この鬼気迫る両側の崖は、往時の「トロッコ道」の名残で、男鹿温泉郷全体が石灰岩の採石現場を利用して形成されているのです。
また、「せんべい」を幾重にも重ね合わせたようなこの地層は、この地に湧出する温泉の成分である石灰が、数万年の時をかけ沈殿し出来た岩石で、いわゆる「湯の華」(石灰華トラバーチン)と呼ばれるものです。
このように、石灰岩が温泉周辺に堆積することは珍しい現象です。
温泉地ならではの地層なんですね!
せんべい・・・。
南部せんべいかな・・・
ところどころに まぁるい穴が開いているのは、どうしてなんでしょ?おしえて!センセー二つの穴の下が えぐれていてカオに見えましたー。
地層の割れ目に根を張った木
今に残る、海岸ならではの地層と温泉地ならではの地層。それを見た後世の人たちが語り部となり、物語が広がる。男鹿らしく鬼の名がついた鬼の隠れ道。文化的価値を付与された大地。漁業や温泉など、そのスグ側で成り立っている わたしたちの暮らし。文化・言い伝え・地層の不思議・・・・・・すべて知るには人生80年じゃ足りないかもしれませんねェ~。
ひみつメモ
三重県にも「鈴島」という無人島がある。三重県は菅江真澄の出身地・愛知県の お隣県。菅江真澄も三重県の「鈴島」を見たかもしれない。西海岸のときも「故郷にもトガ神社とか あるんだょ♪とっても親近感」とか喜んでたマスミちゃんのことです。「しじゅうしま」を「すずしま」と認識しても不思議はない・・・あながち わたしの早合点とも言い切れないんじゃないか?つーか今朝、石川さんが「菅江真澄に会った」って言ってた。わたしも聞きたいコトいっぱい あったのに~!